2010年11月23日
☆小出しでいこうレトロード1 ☆
ここからは小出しで紹介して行きます
小姓町を後にして、次に向かったのが
浄土真宗本願寺派
明善寺(みょうぜんじ)
前もっての予習で得た情報によりますと
日本最初の建築史家、米沢出身の伊東忠太氏が設計したお寺らしい
別に極々普通のお寺に見えるのですが…
やはり普通のお寺…
わっ!
なんだコリャ
本堂
昭和9年(1934)に造られ平成14年に国の登録有形文化財に指定
まるで教会の様な風貌にかなり衝撃を受けましたが、何故か頬がほころぶ感じはなんなんだろぅ
小姓町を後にして、次に向かったのが
浄土真宗本願寺派
明善寺(みょうぜんじ)
前もっての予習で得た情報によりますと
日本最初の建築史家、米沢出身の伊東忠太氏が設計したお寺らしい
別に極々普通のお寺に見えるのですが…
やはり普通のお寺…
わっ!
なんだコリャ
本堂
昭和9年(1934)に造られ平成14年に国の登録有形文化財に指定
まるで教会の様な風貌にかなり衝撃を受けましたが、何故か頬がほころぶ感じはなんなんだろぅ
2010年11月22日
☆空欄の歴史☆
「おもしろいものが残っているものだ」
と関心し、さて次の場所へと行こうとしたら、突然何かに導かれるかのように地図のコースには無い道へとフラフラと行ってしまいました
なんとそこは・・・
小姓町
ここはかつて最上義光公の時代、小姓屋敷があった所
(小姓…将軍や藩主などの主君の警護をする武士)
まるで夢遊病者の様にフラフラと細い路地を彷徨い
辿り着いたのがこの稲荷神社
東前稲荷神社
境内には山形五堰の一つが通ってました
神社の案内板
そうなんです
この界隈は県内はもとより、東北でも随一の規模の快楽街、遊廓のあった所です
あるデータによりますと、22軒の○○楼という名前の付く店があり、169名の遊女がいたそうです
今はすっかり街並みも変わり、当時の面影は微塵もありませんが、唯一当時の名残の駆梅院(性病検査をしていた病院)の建物が残っています
明治30年…建築
昭和30年頃に山形県立職業訓練校の女子寮[白菊寮]に転用
昭和55年から山形県立生活衛生会館として現在使われています
女が生きる小さな町と書いて小姓町とも読める町名
レトロめぐりコースには載らない歴史とレトロな建物のある所…
さて正規のコースへと戻りますょ
〜つづく〜
と関心し、さて次の場所へと行こうとしたら、突然何かに導かれるかのように地図のコースには無い道へとフラフラと行ってしまいました
なんとそこは・・・
小姓町
ここはかつて最上義光公の時代、小姓屋敷があった所
(小姓…将軍や藩主などの主君の警護をする武士)
まるで夢遊病者の様にフラフラと細い路地を彷徨い
辿り着いたのがこの稲荷神社
東前稲荷神社
境内には山形五堰の一つが通ってました
神社の案内板
そうなんです
この界隈は県内はもとより、東北でも随一の規模の快楽街、遊廓のあった所です
あるデータによりますと、22軒の○○楼という名前の付く店があり、169名の遊女がいたそうです
今はすっかり街並みも変わり、当時の面影は微塵もありませんが、唯一当時の名残の駆梅院(性病検査をしていた病院)の建物が残っています
明治30年…建築
昭和30年頃に山形県立職業訓練校の女子寮[白菊寮]に転用
昭和55年から山形県立生活衛生会館として現在使われています
女が生きる小さな町と書いて小姓町とも読める町名
レトロめぐりコースには載らない歴史とレトロな建物のある所…
さて正規のコースへと戻りますょ
〜つづく〜
2010年05月10日
☆七日町探訪2010☆
昨日
植木市に行く前、あまりにもいいお天気でしたので、七日町をスナップ散歩してみました
ところどころに大正や昭和に建てられたと思われる建物が点在してます
花小路の朝は...静かでした
文翔館の庭のチューリップは満開
なんかちょっと癒される時間を味わえました